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住居費以外を3万ペソ(60万円)で楽しく暮らす。エンジニアのブログ。

【読書日記】置かれた場所で咲きなさい 渡辺和子

以前、話題になった本。

機会があったので読んでみた。

 

話題になるだけあって、心に残る言葉が迸る。

 

個人的に印象深かったのは、二二六事件で、渡辺錠太郎教育総監)が暗殺された話である。

 

本書の著者である渡辺和子氏は、渡辺錠太郎氏の娘であった。

二二六事件当日、叛乱部隊の兵士と銃撃戦となり、渡辺錠太郎氏は、娘の渡辺和子氏を安全なところに隠したという。

 

そして、渡辺錠太郎氏は銃撃され娘の目の前で死去したのだ。

 

そのような凄まじい大変をしたのが、この本の著者である。

この本には生きる上での知恵のようなものが、たくさん書かれている。

何度でも読み返したい本。

 

比較的レビューも少ない楽天ブックスであるが、この本に関しては、それなりの数のレビューが書かれている。

↓↓

 

はてなブログ1年間

はてなブログを始めて、3/12が1年目である。

読んで頂いている皆様に、心から感謝をしたい。

 

以下、雑多な感想。

 

  • この1年で、身近な人を複数人亡くし、「一日一日を大切に生きよう」と決意したから、ブログを書くという「何かを残す行為」は遣り甲斐があった。
  • 収入(アフィリエイト)よりも、他のブログを読んで得られた「知識」「情報」「知見」の方が、私にとっては有益であった。
  • もちろん収入が得られればベターだったが、難しい。何故ダメなのかも分かっているが、現時点改善できる見込みなし。(時間的な制約)
  • 一日一日を有意義に楽しく過ごせれば良いのだが、今の生活では「ほぼ全部が仕事」になってしまい、しばらくはこの境遇から逃れられない。
  • それでも、ブログを書くのが楽しみであり、空いた時間は「ブログに何を書こうか」と考えていて、その「考えること自体」が楽しみである。
  • 繰り返しになりますが、読んで頂いている方々に、心から感謝を申し上げたい。

 

bp-en.hatenablog.com

奇跡の一本松を見る

(コロナ禍前の話)

 

東北方面は、私にとって身近な場所だった。

 

行っておきたい場所。

その一つが岩手県陸前高田市である。

ここで奇跡の一本松を見た。

(枯れた後、特殊な工程を経て保存されている)

 

後方のユースホステルの建物の損傷が物悲しい。

このユースホステルの建物が「堤防」となって、

奇跡の一本松が残ったのではないか、という報告もある。

 

陸前高田市は建物の多くが流れ、駅舎も流されたという。

私が訪問した当時は、BRTという専用線を走るバスを利用した。

 

専用線とは言っても、津波で破壊された箇所もあるため、一部は一般道も走る。

 

そのBRTは、陸前高田市だけではなく、沿岸地方を含めた被災地を走る。

多くの場所が被災し、随所で復興工事が行われていた。

 

奇跡の一本松 後方は元ユースホステル

 

ガソリンスタンド 周辺で復興工事中

 

看板まで津波が達した

 

復興工事中

 

駅前広場も工事中

 

福島第一原子力発電所から5キロ、代行バスの思い出

(コロナ禍前の話)

 

3.11の震災で大きな被害を受けた東北地方。

個人的な事情により、この地域は身近な存在であった。

 

震災で、常磐線も大きな被害を受け、代行バスが運行されていた。

代行バスは、福島原発付近の国道6号線を通行する。

 

私が行った時は、浪江駅-富岡駅間。

(当時は)帰還困難区域とされていた。

 

バスに乗るとアナウンスがある。

放射線の影響が懸念されますので、窓は開けないで下さい」

 

国道6号線

 

福島第一原子力発電所から5キロ程度しか離れていない地域も通過するのだ。

人通りが無い道を代行バスは行く。

 

浪江町

双葉町

大熊町

富岡町

 

街には、人が少なく、物悲しさを感じる。

草に埋もれた建物も多い。

 

ここで生活していた人たちは、今どうしているだろうか。

重い気分になる時間である。

 

自分の運転で、この道を通ったこともあったのだ。

数えきれない思いが去来する。

 

 

代行バス車内

 

草に埋もれたコンビニ

 

コメリ

 

ドラッグストア

 

ロシアの仏教寺院(ブリヤート共和国ウラン・ウデ)

ロシアのブリヤート共和国

その「首都」は「ウラン・ウデ」である。

 

ここは、バイカル湖の南東100キロ程度の位置にある。

人口40万人程度。

 

ロシアと言っても、シベリアは、モンゴル系もいて、ブリヤート人はまさにそうだ。

ブリヤート人は、仏教を信仰している人も多く、ここにはチベット仏教の寺院もある。

 

ロシア国内は、非常に「旅がしにくい」場所であり、このウラン・ウデも例外ではない。モンゴル系も多いのだが、うらぶれた雰囲気は、嫌な予感がする。

 

「自分の国」を持たない人々(つまり、実質的にロシア人に支配されている)の悲哀のようなものを感じる。

 

「モスクワ」や「サンクトペテルブルク」に行くと、しばしば見かけるモンゴル系の人は、こういうところから働きにきているのかもしれない。

 

そしてまた、有事の際には徴兵され、最前線で戦うことにもなるのかもしれない・・・

 

 

 

ウランウデのチベット仏教寺院

ウランウデの街角