ちょっと辺境(海外旅行)
※コロナ禍前の話 ペリリュー島にある碑の数々。 あの戦闘は何だったのか。 どんな意味があったのか。 亡くなった人たち。 傷ついた人たち。 元々住んでいた人たち。 島にある碑が、そういうことをいつまでも考えるきっかけとなる。 日本 顕彰碑昭和64年2月と…
※コロナ禍前の話 ペリリュー島の続き。 悲哀を感じる。 高台から見たペリリュー島の海岸 ペリリュー神社 米軍の水陸両用装軌車 LVT(A)-1?LVT(Landing Vehicle Tracked) 岩かげに隠された日本軍 短二十糎砲初速も低く、射程も短くあまり有効でなかったとい…
※コロナ禍前の話 1944年9月15日だから今から80年前のこと。 米軍がペリリュー島への上陸作戦を開始した・・・ 私は個人的に、歴史に興味があるので、わざわざこの島へ行ってみたことがある。 簡単には行くことができない場所で、 公共交通手段がなく、現地(…
※コロナ禍前の話 ブラジルに白い砂が広がる場所があるという。 それは、「レンソイス・マラニャンセス国立公園」である。 バヘリーニャスという街から、地元のツアーに申し込みレンソイスへと向かった。 ブラジルの良さは、人の良さである。 私は独りで参加…
※コロナ禍前の話 ブラジルの大都市サンパウロ。 そこには、「リベルダージ」と呼ばれる場所があり、日本人街となっている。 鳥居や、和食の店、日本食材の商店などがあり、不思議な感じがするのだ。 豆腐、納豆、醤油、味噌、昆布、鰹節など日本の食材も手に…
※コロナ禍前の話 ブラジルのアマゾン河流域では、「河が道路」である。 ここでは、バスの代わりに、船が運行されているのだ。 船足は、バスや鉄道と比べると遅いから、一泊以上の移動になることもある。 そのためハンモックを持ち込んで、それに寝るという方…
中央アジアについて思い出す。 中央アジアというと・・・下記のようなことが思い浮かぶ。 観光客が少ない(10年以上前しか知らないが) ロシア語が通じる イスラム教(イスラーム)文化 トゥルク系文化 多彩な国々 草原あり、山岳あり、都市も砂漠もあり、非…
キルギスの思い出の続き。 中央アジアは、カザフスタン、キルギス、ウズベキスタン、トルクメニスタンと訪問したが、キルギスは山岳地帯であり、景色も美しく、なかなか良かった。 タジキスタンに行かなかったのが悔やまれる。 今の自分にとっては、昔の旅を…
愛読しているブロガーさんの「キルギス記事」を読んで、自分の昔の旅を思い出した。 キルギスは、言語としてはトゥルク系なのかもしれないが、モンゴロイド系の人が多く、親近感を持つ。「日本に留学したことがある」という日本語使いの人に会ったが、日本語…
(コロナ禍前の話) 「ソ連」の影響が残る国、モルドバ。 そのモルドバに滞在中、5月9日がやってきた。 安宿の部屋にはテレビが置かれており、そのテレビを点けると、 赤の広場でパレードが行われていた。 対独戦勝記念日だ。 独ソ戦は、大きな大きな犠牲の…
ロシアのブリヤート共和国。 その「首都」は「ウラン・ウデ」である。 ここは、バイカル湖の南東100キロ程度の位置にある。 人口40万人程度。 ロシアと言っても、シベリアは、モンゴル系もいて、ブリヤート人はまさにそうだ。 ブリヤート人は、仏教を信仰し…
(これも10年以上前の話) ボスニアヘルツェゴビナの首都「サラエボ」。 ボスニアヘルツェゴビナは、ボシュニャク人(イスラム教徒:ムスリム)、クロアチア人、セルビア人など入り乱れる複雑な政治事情を持った連邦国家である。 そのサラエボを訪問したとき…
(これも10年以上前の話) 駐ベオグラード中国大使館誤爆事件 ベオグラードに行った時、旧中国大使館に行ってみた。 ここは、駐ベオグラード中国大使館「誤爆」事件の現場である。 本当に「誤爆」だったのかは分からないが、故意にやった可能性も高い。 少な…
南米。 ボリビア共和国。 サンタクルス市郊外に、沖縄移住地がある。 そこは「コロニア・オキナワ」として知られている。 雛祭りが近づくと、そのことを思い出すのだ。 -------------------------------------------------------------- こんな歌が聞こえて…
タシュケント タシュケントには「ヤッカサライ墓地」があって、そこには、79名の日本人が眠っているとされる。 それは、太平洋戦争後、ソ連軍に連行され、ウズベキスタンに抑留された日本人兵士たちの墓である。 ウズベキスタンの「日本センター」にある資料…
(10年以上前の話・・・他の海外ネタも同様) ブルガリアでは、「犯罪」にも遭ってしまい大変な思いをしたことがあるが、 その食事と、人々の素朴な親切さは、心に残るものがある。 泊まった宿の近くにあったのが、ブルガリア料理の店。 この店は、閉店前の…
イスラーム三大聖地というと、下記とされているようだ。 カアバ(カアバ神殿)(メッカ) 預言者のモスク(メディナ) 岩のドーム(イエルサレム) この中で、異教徒(ムスリム以外)が簡単に行くことができるのは「岩のドーム」だろうか。時間帯によっては…
「ウマイヤ朝」の話が出たが、やはりダマスカスの「ウマイヤド・モスク」を紹介せずにはいられない。 bp-en.hatenablog.com シリアの首都「ダマスカス」にあるマスジド・ジャーミイ(「金曜モスク」)とも呼ばれるこのモスクは、イスラームのダマスカス征服…
アゼルバイジャン →イエメン →イラン →(シーア派) →ヒズボラ →レバノン →カルタゴ →チュニジアと話が続いた。 チュニジアの旅の話を書いていて、思い出したのは、ウマイヤ朝のことである。 チュニジアにカイラワーン(ケロアン)という街がある。 ここには…
レバノン共和国の項で説明したフェニキア人の植民都市のカルタゴ。 現在は、チュニジア共和国である。 カルタゴというと、ローマ(※)とカルタゴの戦争として、「ポエニ戦争」が知られている。 (※)「帝国」になる前のローマ 第一回:前264~241 第二回:前…
イラン、アゼルバイジャン、シリア、イエメンなどのシーア派について書いてきたが、シーア派というと、レバノン共和国の「ヒズボラ」を思い出す人も多いことだろう。 そのレバノンは、フェニキア人の故郷でもある。 古代地中海の歴史を俯瞰すると、フェニキ…
※「RUN IRAN」というのは、イランのバス会社の標語。 アゼルバイジャン(シーア派が多数派)、イエメン・フーシ派(シーア派)、そしてシリアの「アラウィー派」(シーア派の一派)と、シーア派の話題が続いていたが・・・ シーア派の盟主イラン。 そのイラ…
イエメンで米軍がフーシ派への攻撃を実行したという報道に触れて、思い出すのはイエメンに行った時のことである。 (本記事の内容は、フーシ派とは直接関係はありません) イエメンの南西、山がちな地域にある「タイズ」。 その街は、1918年から1962年まで、…
マクドナルドの値上げの報道に触れて、思い出したのはアゼルバイジャンの首都バクーでの出来事である。 イランを旅してから、アゼルバイジャンにバスで入国した。 バスは乗車時間が長いので、私は飲食を抑制していた。 イランからアゼルバイジャンに入国する…
聖書について、いろいろな思い出がある。 中学生ぐらいの頃、聖書を読んでみようと思い立ち、読み始めたが、全く面白くもなかった。理解できず、苦痛を感じていたぐらいである。 その後、会社を辞めて「世界一周の旅」に出る機会があり、そのときにふと思い…
2024年1月2日 今日も、実家で手伝い。 エビフライとカキフライを揚げる。 また「食事会」の片づけの続きなども対応する。 揚げ物は、温度管理をきちんとやれば、それなりのものが作れる。 そして、揚げ物をすると幸せな気分になるのだ。 それは「あの記憶」…
シリアのダマスカスでのクリスマスの続き。--------------------------------------------------------------【1.ダマスカス旧市街】 乾いた風が、やけに冷たく感じられる。それが頬を過ぎると、耳の冷たさが強く感じられた。 「聖アナニア教会」の近くが…
クリスマスが近くなると思い出すのは、 シリアのダマスカスでのクリスマスのことだ。 歴史的な経緯もあって、シリアには少数だがキリスト教徒が居住する。 ロシアが、シリアの「アサド政権」を支援するのも、キリスト教徒の存在があるからとも言われる。また…
毎年、イギリスにクリスマスカードを出している。 学生時代に、イギリスの「ある町」にホームステイをしたことがある。 そのときの数週間は、まるで夢の中のような出来事だった。 毎日毎日、新しい出来事があり、日本での1年ぐらいの体験を数週間でしたよう…
2006年にウクライナに行った時に見た「新幹線」の話を思い出した。 なぜなら「ウクライナが日本の新幹線に関心」というような記事を読んだからだ。 「ウクライナ」「新幹線」・・・ ん、何か心に引っかかるものがある。 しばらくして思い出した。この写真。…