(コロナ禍前の話)
3.11の震災で大きな被害を受けた東北地方。
個人的な事情により、この地域は身近な存在であった。
震災で、常磐線も大きな被害を受け、代行バスが運行されていた。
私が行った時は、浪江駅-富岡駅間。
(当時は)帰還困難区域とされていた。
バスに乗るとアナウンスがある。
「放射線の影響が懸念されますので、窓は開けないで下さい」
福島第一原子力発電所から5キロ程度しか離れていない地域も通過するのだ。
人通りが無い道を代行バスは行く。
街には、人が少なく、物悲しさを感じる。
草に埋もれた建物も多い。
ここで生活していた人たちは、今どうしているだろうか。
重い気分になる時間である。
自分の運転で、この道を通ったこともあったのだ。
数えきれない思いが去来する。