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【読書日記】中先代の乱 鈴木由美

アマ○ンのレビュー好意的なものが多いように感じる。

 

中先代の乱。

なんという地味なテーマだろうか。

私はそう感じた。

 

しかし、この本の内容は、なかなか良い。

まあ、予想に違わずというか、「中先代の乱」自体は半分程度のページ数しか記載がない。

だが、そこに至るまでの鎌倉幕府、北条氏の執権、鎌倉幕府滅亡、建武の新政までが面白い。

 

そして、ご承知の通り、中先代の乱で、北条時行が足利直義を追い落とし、鎌倉を占領、その後、北条時行は、足利尊氏に追われ、足利尊氏と後醍醐天皇との対立、南北朝というのが大体の流れ。

 

余談だが、中先代の乱の頭目(7歳ぐらいの年齢なので「首謀者」とまでは言えないような気がするので「頭目」と書いた)とも言えるのが、北条時行であるが、この北条時行は、最後の執権の北条高時の遺児である。中先代の乱で、鎌倉を占領後、足利尊氏に追われ、後に、南朝方として戦うことになる。何故、北条氏を滅ぼした、後醍醐天皇方に付くのか、という疑問もあるが、憎むべきは、後醍醐天皇ではなく、足利尊氏や新田義貞ということらしい。そして、北条氏から恩を得ていた高氏(尊氏)の裏切りが許せなかったのだろうと。

※例えば、足利高氏の「高」は、北条高時の「高」であり、いわゆる偏諱(へんき)。

 

南朝方として、新田義貞と手を組むのも、そういう理由のようだ。鎌倉幕府滅亡のとどめを刺したのが新田義貞と思っていたから、これも腑に落ちないことだったが、つまりは、足利尊氏が憎いらしい。

ちなみに、足利尊氏の弟である足利直義は、幕府執事の高師直と対立し、観応の擾乱、その後、南朝へ下るとか、「太平記」の時代は、改めて凄い歴史(おもしろい歴史)だとしみじみと感じる。敵と味方が入り乱れる。

 

北条時行を好きになった話、というのを「あとがき」で書いているが、著者は、大学の研究者ではなく、いわゆる在野の研究者(中世内乱研究会会長)であり、だからこそ、丁寧に執筆したのだろうと思われた。

 

好きとか嫌いとか、個人的な感情を書かれると戸惑うが、そういう感情が、本書執筆の原動力になっているのだろう。とても読みやすい本だったと感じる。

【ラテン音楽】Santiago Cruz - サンティアゴ・クルス(コロンビアの静かな歌)

Santiago Cruz(サンティアゴ・クルス・ベレス)は、1976年2月1日生まれであり、コロンビアのイバゲ出身のシンガーソングライターである。

 

初のアルバムは、「Solo hasta hoy」(2003年)である。

 

やはり、ヒット曲といえば「Desde Lejos」(遠くから)が挙げられるだろう。彼の4枚目のスタジオアルバムである「A Quien Corresponda」に収録されている。

 

Youtubeでの再生回数は、2億越え。2013年のラテングラミー賞の「年間最優秀レコード賞」にノミネートされている(受賞はしていない)。そうすると、受賞したのは誰か?というのが気になるが、それは、マークアンソニーの「Vivir Mi Vida」である。さすがだ。

 

個人的には、Santiago Cruzの「Desde Lejos」、自信を持ってお勧めしたい。

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他には、No Nos Digamos Mentiras(嘘をつくのを止めようよ)

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Un Amor De Verdad(本当の愛)

静かで落ち着いた曲だ。こういう曲が個人的に好み。

 

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陸軍中佐「上原重雄」戦死の地(旧日本陸軍飛行第22戦隊)への旅(神奈川県小田原市)

陸軍中佐「上原重雄氏の戦死の地」というところに行ってみた。

(大尉から2階級特進で「中佐」とのこと)

 

陸軍中佐上原重雄氏のことは、ネットで偶然知ったのが、その碑の場所は、神奈川県小田原市沼代525番地付近である。戦死したところは付近の山。(石碑の場所とは異なる)

 

業者から借用した車で、かなりの時間を走る。意外と遠い。

駐車スペースが無いので、近くの「馬頭観音」近くの駐車スペースに停めさせて貰った。

 

公共交通機関を利用する場合は、JRの二宮駅(にのみやえき)か、国府津駅(こうづえき)から、バスや徒歩が便利だろうか。

 

まずは、地碑の説明板を読む。

 

陸軍中佐上原重雄氏は、大正7年(1918年)鹿児島県日置郡市来町に生まれたという。そして、昭和20年(1945年)小田原の地で戦死した。

 

上原重雄氏の戦士の地碑の説明版

 

昭和20年2月17日、相模湾沖の航空母艦から発進した米軍の戦闘機、「延べ」600機が関東地区を攻撃した。硫黄島上陸作戦を目前にしたこの時期、本土の目標への攻撃である。朝から空襲警報が発令されていた。


午前10時頃、攻撃を終え相模湾へと南下してきた戦闘機に、単機突入した日本軍機が上原中佐の戦闘機である。

小田原市小竹の上空で被弾し、愛川町の飛行場へ向かったが、敵機の挟み撃ちにあい当地上空で炎につつまれ墜落。

 

天蓋から身を乗り出し、皇居に両手を上げて決別したと伝えられる。

 

パラシュートで脱出しなかったのは、制御を失った航空機が、民家に墜落することを回避するためだったともされている。

 

墜落場所は沼代の山の中腹である、「やまゆりライン沼代入口付近」の鉄塔近くだという。


上原中佐は、陸士第52期の卒業。(陸士=陸軍士官学校)

スマトラ島パレンバン航空隊を拠点とし、ニューギニア戦線にまで遠征して活躍。B17爆撃機の迎撃には偉勲の戦士と言われていたとのこと。

 

昭和19年に、本土に還り、兵庫県加古川航空隊で教育にあたる。

昭和20年1月、愛甲郡愛川町中津にあった第22航空戦隊長として着任した。

 

上原中佐の部隊は、朝鮮平壌に移駐が決まっており、軍は迎撃中止を命じていた。部下隊員を掩体壕(えんたいごう=航空機などの機材を格納する豪)でなだめ、自らは単機発進をされた。


記念碑は搭乗機「疾風」のプロペラの1枚だった。当時、機材を回収しにきた陸軍の目をかすめて、地元住民が隠していたとされている。

この石碑類は、平成22年(2011年)に、現在地に移設された。

 

石碑およびプロペラの記念碑

 

KDDIの株主優待が届く(2026年)

KDDIの株主優待の3,000ポイントを4,500ポイント(4,500円分)に増やす。

au PAYマーケットで、ナガノパープルを注文したのは、8月だったか。

 

そのナガノパープルが届いた。なかなかよい。

ただし、鮮度は、良いようには見えなかった。

ぽろぽろと、実が取れて落下していく。

 

味は、抜群に良い。

 

KDDI株主優待2026(ナガノパープル)

 

bp-en.hatenablog.com

【ラテン音楽】Kudai(クダイ)南米チリの4人組バンド

アマ○ンにあったのはこれぐらい。

20年以上前で、物理的なCDを買うのは困難である。

 

南米チリのバンド、Kudai(クダイ)。

マプチェ語で、「強い若者」という意味があるという。

マプチェ語というのは、チリ中部で主に話されている先住民の言葉。

地名で言うと、プエルトモンとか、チロエ島の付近である。

(私の好きな場所)

 

このバンドの歴史としては、「CIAO」というバンドが2001年に結成され、その後、「Kudai」になったのが2003年である。

 

■メンバー

Pablo Holman Concha(パブロ・ホルマン・コンチャ)
Tomás Cañas Manzi(トーマス・カニャス・マンシ)
Bárbara Sepúlveda Labra(バルバラ・セプルベダ・ラブラ)
Gabriela Villaba(ガブリエラ・ビジャーバ)2006年7月に加入。

 

■元メンバー

Nicole Natalino Torres(ニコレ・ナタリノ・トレス)2006年6月に脱退。

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ヒット曲としては、デビュー曲2004年の「Sin Despertar」(目覚めない)、2004年2ndシングル「Ya nada queda」(もう何も残っていない)などがある。

「Sin Despertar」の方は、深い意味があるというが、ここでは言及しない。

 

個人的には、「Ya nada queda」(もう何も残っていない)の方が、美しいメロディの静かな曲なので、好みである。

 

ボーカルの黒髪のメンバーが、Bárbara Sepúlveda Labraであり、ブロンドが、Nicole Natalino Torresである。(自発的にグループを離れて、後にシングルデビュー)

 

Sin Despertar(デビュー曲)

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Ya nada queda(ヒット曲)

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【読書日記】承久の乱 坂井 孝一

思った以上にレビュー数が多い。

そして、評価も高い。

 

承久の乱。

地味な内容だろうと想像した。

しかも、それだけで1冊の新書というのは、そんなに書ける程の内容があるのだろうか。

そういう疑問があった。

 

まず、本書では時間を遡って、承久の乱に至る背景を丁寧に解説している。

 

三代将軍である源実朝は、和田合戦などを契機に、権力を掌握し、決して無能な将軍では無かったと主張する。(最近の本では、こういう意見が多いようだ)

 

私の予想外だったのは、後鳥羽上皇は、鎌倉幕府を滅ぼそうとした訳ではなく、北条義時を鎌倉の政権から排除することにあったという主張だ。

 

その理由の一つが、後鳥羽上皇と源実朝の関係である。実朝暗殺前から、既に後鳥羽上皇の皇子を次期将軍にと画策していたのだった。そしてそれを後鳥羽上皇は了承し、それに危機を感じた公暁が、源実朝を暗殺することになる。(公暁が次期将軍になる可能性が完全に無くなる)

 

1219(建保7)年1月27日、源実朝暗殺。

これで大きく歴史が動く。

 

良好な関係を築いていた源実朝が暗殺され、後鳥羽上皇は、幕府に対して不信感を抱くのだ。

さらに、大内裏焼失が、幕府内の権力争いに巻き込まれたことで起こったと考え、北条義時の政治を信頼できなくなり、義時を追討の決意をする。それが、1221(承久3)年5月15日「北条義時追討の官宣旨」をだすのだ。(摂津の地頭の改補(かいふ)の院宣とか、本書では述べられている)

 

こうして「承久の乱」は勃発する。

本書では、幕府方を「チーム鎌倉」、京都側を「後鳥羽ワンマンチーム」と例えてみせる。

 

瀬田(勢多)や、宇治の激戦など、臨場感溢れる記述もあり、迫真の描写であるように感じた。

 

結果、鎌倉側の勝利となり、後鳥羽三上皇らは島流し、京都側の武士たちの多くは処刑された。

 

乱後の御成敗式目制定、西国に守護設置など含めて、大きく世の中が変わっていく様子も説明していく。

 

内容をさらっと書くと、こうなるが、説明も丁寧だし、分かりやすい、良書だと感じられた。

 

P.220の、(大意)「歴史の結果を知っている我々が、軽々しく批判、非難をすべきでない。客観的に勝因や敗因を分析し、真の意味、真の価値を評価することしかできないのでは」

という著者の意見に、賛同したい。