イエメンで米軍がフーシ派への攻撃を実行したという報道に触れて、思い出すのはイエメンに行った時のことである。
(本記事の内容は、フーシ派とは直接関係はありません)
イエメンの南西、山がちな地域にある「タイズ」。
その街は、1918年から1962年まで、「イエメン王国」の首都であった。
1962年、王政が軍事クーデターで倒され「イエメン・アラブ共和国」となり、首都は「サナア(サヌア)」になるが、「イエメン王国」亡命政府との間で1970年まで内戦が続いた。
現在のイエメンは、「イエメン共和国」であり、それは、1990年に「イエメン・アラブ共和国」(北イエメン)、「イエメン人民民主共和国」(南イエメン)が統合された結果である。
そして2015年にイエメン内戦が始まってしまうのである。(スンナ派vs.シーア派)
私が行ったのは、その前だから、まだ内戦が始まっていない「平和」な情勢だった。
イエメンだけではなく、スンナ派とシーア派の争いは、中東地域に複雑な政治の影を落としている。イエメンでは、フーシ派(自称:アンサール・アッラー)がシーア派とされる。
地域の大国の一つ、イラン(シーア派の盟主)の力がここにも影響を与えているのだ。その後、首都の「サナア」はフーシ派に占拠される事態となる。
このときに訪問した「タイズ」は、いわゆる「北イエメン」側の元首都であり、なかなかの規模の街でもあった。スーク(市場)が、やはり面白い場所である。
この街は、フーシ派対ハーディ政権側との最前線になっており、今(2004年1月)、どちらが掌握しているのかは、私の持っているわずかな情報では分からなかった。