3万ペソで楽しく暮らす

住居費以外を3万ペソ(60万円)で楽しく暮らす。エンジニアのブログ。

アゼルバイジャンのマクドナルド

マクドナルドの値上げの報道に触れて、思い出したのはアゼルバイジャンの首都バクーでの出来事である。

 

イランを旅してから、アゼルバイジャンにバスで入国した。

バスは乗車時間が長いので、私は飲食を抑制していた。

 

イランからアゼルバイジャンに入国すると、車内は「お祭り騒ぎ」になる。

「抑圧の国」イランから、「少し開放」のアゼルバイジャン

 

特に顕著なのが女性の衣装である。

 

「チャドル」とか「ブルカ」とか呼ばれる(それぞれ微妙に異なる)全身を覆うような衣装を脱ぎ棄て「自由な」衣装になったのだ。

ガラッと雰囲気が変わり、「高い壁を越えてきた」ような気がしたのだった。

 

イランなど中東多くの国で推奨されているその衣装。

暑苦しくてそのような衣装を好まない女性も多いのかもしれない。

アゼルバイジャンで生まれ育ったとしたら、尚更である。

(訊いてないので真偽は分からない)

 

余談だが、イランで女性に話しかけると、「袋叩き」にされかねない雰囲気もあるので、相手が高齢であろうが、避けた方が良いという習慣が染みついていた。

 

アゼルバイジャンに入国後、バスは休憩所に止まる。

 

私はトイレの問題もあるので、食事は自重したが、ここでの食事は美味しそうに見えた。バスの車内で仲良くなった人たちが写真を撮らせてくれた。イランでは、パサパサのサンドイッチ状の物ばかり食べてたから、これは実に美味しそうだった。

 

アゼルバイジャンは、ロシアの影響が濃く、それは食事にも反映されている。

ロールキャベツや、ピロシキのようなものなど、大衆食堂で安く食べられて、その味は、私の慣れ親しんだものであり、大変美味に感じた。

 

・・・翌日、私は、バクー中心部にある「マクドナルド」に行ってみた。

イランには当然そのような店は無かった。

バクーでの「マクドナルド」が、どのような雰囲気を持っているのか知りたかったのだ。

 

そこでは・・・

 

「誕生日会」が行われていた。

 

5歳前後と思われる人たちと、その親が集まり、パーティーを行っていたのだ。

こうやって、幼いころから「マクドナルド」を叩きこまされて、それが「思い出の味」になっていくのだろう。ここにも、「西洋」があるのだった。

 

私も久しぶりにハンバーガーやポテトを食べてみる。

それは、懐かしい「日本の味」がしたのだった。

 

私も、欧米の人たちと同じく、つまり、マクドナルドで誕生会をやるような文化の人たちと同じ側の世界が刷り込まれているのだ。イランとアゼルバイジャン。本当の「高い壁」は、これだったのかもしれない。

 

消すことのできない幼い記憶。食べ物の記憶。

 

マクドナルドで「誕生日会」をする人たちと、「同じ世界」に住んでいた自分に気が付き、イランとの深い断絶が、改めて身に迫って感じられたのだった。

 

バス休憩所での食事(見ているだけ・・・)

 

バクーの繁華街(欧米の雰囲気がある)

 

カスピ海原油が産出される幸せな国)