(これも10年以上前の話)
ボスニアヘルツェゴビナは、ボシュニャク人(イスラム教徒:ムスリム)、クロアチア人、セルビア人など入り乱れる複雑な政治事情を持った連邦国家である。
そのサラエボを訪問したとき、サラエボ事件の現場に行ってみた。(第一次世界大戦の引き金)
オーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者であるフランツ・フェルディナントと、妻のゾフィーが、ボスニア系セルビア人に銃撃により暗殺された事件である。1914年の出来事であるから、2024年の現在からすると110年前のことになる。
世界を大きく変えた事件であると言ってもよいだろう。
私が訪れた当時でも、少し辺境の地であった。
そもそも、ボスニアヘルツェゴビナは山がちで移動も楽ではない。
その中にある盆地がサラエボであり、ここはスルプスカ共和国との「境界」最前線でもある。なお、スルプスカ共和国は、ボスニアヘルツェゴビナを構成する構成体の一つ。もう一つがボスニアヘルツェゴビナ連邦。
つまり下記のようになる。
オスマントルコの支配によるイスラーム化と、セルビア、クロアチアなどの混在が複雑化を助長している。
サラエボ旧市街の風景は、アジアの影響を感じさせる。トルコの影響と思われる。
このアジア的な街は、深く印象に残る。
サラエボ事件であるが、2枚目写真の路面電車が走っている方向から、車が来て、車は間違えてこの角(銘板のある角)を曲がってしまった。
「道を間違っている。止まれ!」という指令で止まったところが、偶然、暗殺実行者が待機していた場所であり、この付近で拳銃が発射されてしまうのだ。