一周忌。
新幹線に乗り長距離を移動した。
悲しみが、じわじわと体に染みわたるような気分である。
まずは移動での体験
- 駅のエスカレーターでスーツケースを落とした人がいた。「キャー」と悲鳴が上がり、スーツケースが上から下まで落ちるのを見た。幸いけが人は居なかった。
- 新幹線のドアが閉まる直前に強引に降りてきた外国人を見た。乗る列車を間違えたのだろう。英語でも散々アナウンスがあるのに、それでも間違えるのだ。外国だと分からないことがあるのは、私にも理解はできるが。
- 新幹線車内「インバウンド系」外国人が多くいた。普段は、それほどそういう人に会う機会はないのだが、新幹線に、これほどいるのは驚きである。そして京都には、溢れんばかりの「インバウンド系」の人たちに会うことになる。
- 年齢層の高い女性のグループの会話が賑やかだった。決して「不快ではなかった」。楽しそうに会話を弾ませる人たちは、不快と言うより、私まで楽しくなるような存在とも言える(本当)。だがしかし、新幹線内、眠りについた後、甲高い声に、何度も何度も叩き起こされたのは苦笑。ぼそぼそと話す声であれば、逆に眠気を誘ったかもしれないが。。。(耳栓が必須)
- 親族の人たちと一緒に移動したが、当然私は荷物持ちとなり、かつ慣れない土地での案内役となる。乗り換え時間、乗りかえ方法など、事前にGoogleで調べていたので、それなりに対応できたが、あの京都の大混雑には圧倒され、歩き難かった。
法要での体験
- 自分が持参した「お供え物(手土産)」の包装紙が、明るい色であった。包装紙の色まで考えられていなかった。仏壇に並べられると、場違いな感じがした。そこまで配慮できていなかったのが反省。
- 子供の頃は「お経」が退屈で、苦痛だったが、今では心地よく聞こえる。自分でも習いたいぐらい。
- 毎日のように故人を思い出していが、こういう集まりの重要性を改めて感じた。
- 財産を残していても、彼岸に旅立ってしまえば、無いものと同じ。現世でどうやって有意義な人生を送れるだろうか?今まで有意義な人生だっただろうか?そんなことを考えた。