通勤途中で、不可解な体験がある。
あまり「馴染みが無い騒音」を住宅街で遭遇するのだ。
音が出るところを探ってみると、エアコンの室外機である。
「通常の室外機」に比べて、音が煩い。
煩いだけではなく、不快な音なのである。
そのエアコンは、東アジア某国の製造メーカである。
自分の部屋の隣で、こんな音を出されたら、苦痛で眠られないだろから、まずは自分の部屋の隣ではなくよかったと思うべきなのだろう。これを購入した人は、おそらく値段の安さに惹かれたのだろうが、こういう製品を見ていると、あるメーカの製品を思い出す。
それは、東アジアの新興メーカで、私の部署に売り込みに来た製品である。
「試作品を渡すから評価してみて」
というのだが、その評価結果を見て驚く。
仕様が決まっているのだが、結果が悉く「仕様の一番悪い数値ギリギリ」なのである。
日本のメーカであれば、騒音の仕様xx~yydBと規定があれば、それを下回る数値で作り上げる。
十分すぎる程のマージンである。
ところが、騒音の仕様には入っているが、「一番悪い数値ギリギリ」である。騒音だけでなく、消費電力や、重量その他多くの仕様が、ことごとく「一番悪い数値ギリギリ」なのだった。
そうやって、コストを下げているのだ。
それなら安くできる。
だが、仕様は満足しているから、「何も悪いことはしていない」。
ある意味、非常に優秀でもある。
企業が負担する社会保険料や税金も日本より低いと思われるから、そんな設計をされたら価格では勝つことができない。
そして、敗れた日本メーカが、(仮の話だが)三洋電機、シャープ、東芝のようになってしまうとしたら、完全に戦略負けである。今よりも酷い、奴隷のような労働環境がいつまでも続く訳だ。いや、逆に今よりも良くなるのか。それは分からない。
「グローバル化」というのは、苛酷なもので、これから日本は、世界に合わせた貧困化が進むのではないかと危惧している。それは、こういう小さいことが積み上がって、ある日気が付いても、もう二度と取り返しは付かないものになりそうだ。