「お客様は神様です」の本当の意味は、
こんな私のところに来てくれるお客様は、神様のように感じられる。
という想いから生まれ出た言葉というのは、感じていた。
だがしかし、いつの間にか、その言葉は変化していき、「お客様は神様と同じだから、何をやっても許される」の意味になっていったようだ。
お客様は、もともと有利な立場であり、その要求を断りづらい。
早く、安く、高品質、小さく、対応も良く・・・
キリがない。
無限の要求になってしまうのは、容易に推測できる。
下手をすると、大赤字で請け負い、対応することになる。
トラウマになる程の目にあい、苦しみを感じて開発しても、十分な金銭的報酬が得られなければ、「もうやめよう」になるだろう。
誰だって、奴隷のようにこき使われて、賃金も半減。などとなったら嫌だろう。
それが現実のものであるのは、「お客様」の「ご要求」があるからだ。
試しに要求してみたら、受け入れられ、それがスタンダードになってしまった。
奴隷労働から抜けられない。
休みもなく、安寧もない。
ズタズタ、ボロボロになりながら働いて、報酬も半減。
辞めていく人が後を絶たないのも当然だ。
正義のない神様ほど恐ろしいものは無い。
まさに「荒ぶる神」。
神様を崇拝するのは、もう辞めよう。
そういう時代が、来つつあるように感じられる。
だが、そう簡単には辞められない。
我々個人にできることは、何だろう?
ここから得られる教訓を記憶しておくこと。
得られた知見を記憶しておくこと。
この日々を記憶しておくこと。
そういうことぐらいか。
だから、私は自分が客の立場になっても、要求も期待もしないことにしている。
せめて自分は、人々を苦しめたくはないのだ。
だがもちろん、知らず知らずのうちに、
「神様」のようにふるまってしまうこともあるだろう。
「お客様」を鎮めるための、「祀り」が必要なのではないか?
そう考える日々である。
たぶん、日本の「お客様」は「祀っても」祟る可能性の方が高いと思うが・・・
↓ 神様の祀り方・・・