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【読書日記】倭人伝、古事記の正体 足立倫行

倭人伝、古事記の正体】 足立倫行

 

楽天で検索したら、古本しか出てこなかった。

 

類似書を読んで、大変面白かったのでこの本も読んでみた。

期待通りの内容で、【倭人伝、古事記の正体】大変面白かった。

 

内容は基本的に2つに分かれていて、下記に用になっている。

両書とも、日本の古代史において極めて重要な書物である。

 

 

実際のその地を巡り鍵を握る人物(考古学者、研究者)に会い、話を聞くというのが、読んでいてワクワクするような体験であった。

倭人伝」は森浩一氏、「古事記」は三浦佑之氏の著作に大きく影響を受けている。

 

個人の感想としては、発掘調査が各地で進むことで、新たに発見されるものごとにより、新しい歴史的知見が得られることが、知的好奇心を刺激する。

 

bp-en.hatenablog.com

 

春分の日

春分の日は、午前中にドラッグストアに日用品を買いに行く。

凄まじい強風のため、難儀した。

 

午後は、荷物の整理をする。

株主優待などで貰ったものを、整理しきれていなかったのだ。

 

 

■生活習慣を振り返ってみる

 

平日は、午前6時50分には家を出て、帰宅が22時~0時ぐらい。

さすがに、疲れはてて、寝るだけの生活。

 

土曜日は、買い出し。

日曜日は、実家に手伝い。

 

何のために生きているのか分からない日々である。

 

だから、いわゆる「祝日」は、貴重な存在だ。

こうして、部屋の整理をすることができた。

(そしてまた、ブログの下書きを複数作成できた)

 

本日(春分の日)は、強風で交通機関も乱れていた。

お墓参りにも行く計画もあるのだが、命日に合わせて4月がよいのかもしれない。

 

ミックスサラダ23週目(種まき後24週間)

ミックスサラダの方、数週間前に蕾を収穫したが、脇から花茎が伸びてきた。

実は、それを期待はしていたのだが、本当に出てきた。

 

生命力に改めて驚く。

そして自然の恵みに感謝したい。

 

同じ時間を過ごしてきた、菜の成長が頼もしく、そして癒される。

 

bp-en.hatenablog.com

 

花茎が新たに出てきた

 

小カブ第2弾(種まき後16週目)_再び収穫

小カブ。

 

大きくなってきたので、劣化してしまう前に収穫をした。

昨年(2023年)11月下旬に播いたから、それなりの時間が掛かった。

 

しかし、ここに来るまでの成長を振り返ってみると、

小さいな小さな種が、芽吹き、双葉になり、本葉が出てきて、成長する。

寒い中、雪も降った、強風も吹いた、雨の日も続いた。

 

よく頑張ったと、感謝がこみ上げてくる。

よく頑張った。よく成長した。

 

そして収穫。

多くのことに感謝。

 

小カブの味噌汁で頂いた。

 

bp-en.hatenablog.com

 

収穫前 大きくなっていた

 

収獲 6株

 

二本松城の「少年隊」(福島の旅)

二本松城は、「二本松駅」から徒歩で20分程のところに位置している。

 

私は「智恵子の生家」から歩いて行った。

車の通りの少ない裏道を歩いて行ったので、なかなか楽しい散策となった。

「智恵子の生家」からだと、歩いて40分程度。

 

二本松城は、過去、二本松藩主である丹羽氏の居城であった。

霞ヶ城公園」として整備されている。

歩いてみると想像以上に巨大な城であり、石垣なども見事なものだった。

 

二本松城で思い出されるのは「戊辰戦争」である。このときは、「二本松少年隊」の存在があった。12歳から17歳の少年兵たちで編成された62名(とされている)からなる。

 

会津藩の「白虎隊」が、知られているが、この二本松藩にも「少年兵の部隊」があったのだ。

 

二本松城

 

二本松城 箕輪門

天守台跡(復元されたという)

 

二本松少年隊の像

 

二本松市の智恵子の生家(福島の旅)

(コロナ禍前の話)

二本松市は、東北新幹線の駅でいうと、「福島」と「郡山」の間に位置する。

 

私は東北本線「安達駅」で在来線を降りる。

そしてここから、住宅街を智恵子の生家へ向けて歩くのだ。

 

智恵子(1886年明治19年)5月20日 - 1938年(昭和13年))は、油井村で生まれる。現在は二本松市である。造り酒屋の長女であり、福島高等女学校を卒業後、日本女子大学校に入学する。
芸術に興味を抱き、油絵などを学ぶ。

 

その後、高村光太郎と結婚。だが、実家の父の死去と、実家の破産などが続き、自身の病気もあり、療養のため「紙絵」を始める。その「紙絵」などが、生家の裏にある資料館に展示されている。

 

智恵子の生家の裏山を登ると、そこには、「愛の小径」がある。そこは、高村光太郎と智恵子が歩いた道だという。私もその道を歩くと、「智恵子の杜公園」があった。

展望台があり、ここから安達太良山(あだたらやま)を望むことができる。高村光太郎の詩にある安達太良山である。

 

智恵子の生家

 

石碑

 

安達太良山を見る

 

「お客様は神様です」が日本を毀損していくのだろうか

「お客様は神様です」の本当の意味は、

こんな私のところに来てくれるお客様は、神様のように感じられる。

 

という想いから生まれ出た言葉というのは、感じていた。

 

だがしかし、いつの間にか、その言葉は変化していき、「お客様は神様と同じだから、何をやっても許される」の意味になっていったようだ。

 

お客様は、もともと有利な立場であり、その要求を断りづらい。

 

早く、安く、高品質、小さく、対応も良く・・・

キリがない。

無限の要求になってしまうのは、容易に推測できる。

 

下手をすると、大赤字で請け負い、対応することになる。

トラウマになる程の目にあい、苦しみを感じて開発しても、十分な金銭的報酬が得られなければ、「もうやめよう」になるだろう。

 

誰だって、奴隷のようにこき使われて、賃金も半減。などとなったら嫌だろう。

それが現実のものであるのは、「お客様」の「ご要求」があるからだ。

 

試しに要求してみたら、受け入れられ、それがスタンダードになってしまった。

奴隷労働から抜けられない。

 

休みもなく、安寧もない。

ズタズタ、ボロボロになりながら働いて、報酬も半減。

辞めていく人が後を絶たないのも当然だ。

 

正義のない神様ほど恐ろしいものは無い。

まさに「荒ぶる神」。

 

神様を崇拝するのは、もう辞めよう。

そういう時代が、来つつあるように感じられる。

 

だが、そう簡単には辞められない。

 

我々個人にできることは、何だろう?

 

ここから得られる教訓を記憶しておくこと。

得られた知見を記憶しておくこと。

この日々を記憶しておくこと。

 

そういうことぐらいか。

 

だから、私は自分が客の立場になっても、要求も期待もしないことにしている。

せめて自分は、人々を苦しめたくはないのだ。

 

だがもちろん、知らず知らずのうちに、

「神様」のようにふるまってしまうこともあるだろう。

 

「お客様」を鎮めるための、「祀り」が必要なのではないか?

そう考える日々である。

たぶん、日本の「お客様」は「祀っても」祟る可能性の方が高いと思うが・・・

 

↓ 神様の祀り方・・・