レバノン共和国の項で説明したフェニキア人の植民都市のカルタゴ。
現在は、チュニジア共和国である。
カルタゴというと、ローマ(※)とカルタゴの戦争として、「ポエニ戦争」が知られている。
(※)「帝国」になる前のローマ
- 第一回:前264~241
- 第二回:前218~201
- 第三回:前149~146
このうち、第二回が「ハンニバル」(カルタゴの将軍)が活躍したポエニ戦争である。(アルプス越え)
ハンニバルが、アルプス越えをしイタリア半島へ侵入する。そして、「カンネの戦い」でローマ軍を敗走させるのである。この「カンネ」というのは、イタリア半島の「長靴」の「踵」付近にある。
しかしローマも黙っていない。ローマ将軍スキピオがカルタゴ本国を攻撃し、ハンニバルはカルタゴへ呼び戻され、「ザマの戦い」でハンニバル率いるカルタゴ軍はローマに敗北したのだ。
そして、第三回ポエニ戦争で、ローマはカルタゴを徹底的に破壊し、草木が生えないように塩を撒いたという、エピソードがある。
チュニジアのカルタゴ遺跡と言われているものは、首都チュニスから地中海方向に行った海岸地区にある。
そこには、郊外列車で行くことができる。周辺には遺跡が数多くあり、それを順番に見ていくだけでも一日がかりな程の数と量なのである。
遺跡共通チケットのようなものを購入し、次から次へと遺跡を訪問した記憶がある。遺跡からは、海が見え、ローマ風の遺跡もあり、歴史の舞台を堪能できた。一日では足りない程の魅力を持つのがカルタゴ遺跡である。