イラン、アゼルバイジャン、シリア、イエメンなどのシーア派について書いてきたが、シーア派というと、レバノン共和国の「ヒズボラ」を思い出す人も多いことだろう。
古代地中海の歴史を俯瞰すると、フェニキア人の記載があると思われる。フェニキア人は、カルタゴ(現在のチュニジア)など、地中海各地に植民都市を作っていた。
さらには、「フェニキア文字」は、今使われているアルファベットの原形とも言われ、歴史好きには、堪らない場所がレバノンなのだ。
私は、シリアのタルトゥースから、陸路で国境を越え、「トリポリ(Tripoli)」で乗り換えて、首都ベイルートに向かった。ビザ(査証)が短期間しか取れなかったから、急ぎの旅となる。
トリポリは、地中海に面しており、レバノン第二の都市である。(アラビア語では「タラーブルス」と呼ばれる)
レバノンの見所の一つは、バールベックの遺跡である。
ここは、もともとフェニキア人の聖地であったとされるが、ローマ時代の遺跡が残されている。この遺跡は、当時、あまり整備されているとは言えなかったが、その広大さには驚かされ、一日中、ゆっくりと散策できたことは、いつまでも忘れられない経験であった。
ベイルートなど、都会を歩いていても、「フェニキア」を連想させるものは感じられなかったが、この国は、複雑な政治事情と、内戦で苦しんだ過去もある。
日本では、港湾での爆発事故、自動車会社の元会長の居住地など、話題になることもある。