※「RUN IRAN」というのは、イランのバス会社の標語。
アゼルバイジャン(シーア派が多数派)、イエメン・フーシ派(シーア派)、そしてシリアの「アラウィー派」(シーア派の一派)と、シーア派の話題が続いていたが・・・
シーア派の盟主イラン。
そのイランでは苦難に満ちた旅だったが、それこそが、旅の醍醐味でもある。
シーア派は、イスラームの少数派であり、政治的・宗教的トラブルの元にもなっている。そのイランをよく知っておきたいというのが、私の願いの一つであった。
(それ以外の目的は、陸路でのユーラシア大陸横断)
シーア派というと外せないのは、カルバラーだと思われるが、そこは「イラク」の領土となっており、今でもシーア派の聖地となっている。
さて、イランの旅であるが、この国は独特の雰囲気があり実に興味深かった。
ただし、若者たちが粗雑で、暴力を振るう、暴言を吐くなど日常的なストレスを受ける旅となった。
それとは対照的に、年齢の高い人たちは、知的で、英語も理解する人たちが多かった。
イラン革命前のレザー・シャー時代に教育を受けたと想像できる世代と、イラン革命後に生まれ、教育を受けてきた当時の若者世代。この世代間の断絶が、際立っているように感じられた。
イラン、シーア派、聖地。
といえば、「マシュハド(マシャド)」のエマーム・レザー廟、聖地ゴムなどが挙げられるかもしれない。
そのマシュハドは、イラン第二の大都市だけあって、街の規模や活気には驚かされた。他国からイランに入国して、一番最初に訪問した大都市でもあり、インパクトが強かった。
バーザールも人が多く、活気に満ちている。そのバーザール入り口には、肖像画が掲げられていたが、偶像崇拝否定のイスラームにあって、ホメイニ師(と思われる)肖像画のインパクトが大であった。
マシュハドでの最大の見所は、エマーム・レザー廟と思われる。ここはシーア派の聖地であるが、世界各地から巡礼に訪れる人が溢れ、夜でも照明が明るく輝き、まるでコーランで言う「天国」のようでもある。
こういう「天国」に心を奪われ「殉教」する信者たちもいるのだから、聖地が歴史を作っているという側面もあるのかもしれない。