2006年にウクライナに行った時に見た「新幹線」の話を思い出した。
なぜなら「ウクライナが日本の新幹線に関心」というような記事を読んだからだ。
「ウクライナ」「新幹線」・・・
ん、何か心に引っかかるものがある。
しばらくして思い出した。この写真。私が撮影した一枚。ウクライナのオデーサ(当時はオデッサと言った)という都市に行き、「ポチョムキンの階段」や「プーシキンの銅像」などを見てその帰り、駅から首都キーウ(当時はキエフ)行きの列車に乗ろうとしていた。駅の構内を歩いていると、懐かしい、どう見てもこれは日本の新幹線ではないか!
という看板を見たのだ。これどう見ても、東海道新幹線に使われている「新幹線」だよね。(鉄道には詳しくないので、型式?などは分からない)
どうして、ここに新幹線があるのか、その理由は、私には分からない。
想像では、「次世代の鉄道」としての憧れ、目標、新技術の象徴。そういう感情が入り混じって、「新幹線」を看板にしたのだろう。
ロシア語は勉強していたけれど、カタコトしか喋ることができない。
ガイドブックも持っていなかった。
だから、詳細な調査はできなかった。残念ながら。
それでも理由を探ろうとして文字を読んでみる。
書かれているのは下記の文字。
Одеса-головна
オデーサ中央駅という意味だ。ロシア語だとОдессаというスペルになるから、これはウクライナ語だと推測できる。地域によっては、ロシア語話者もそれなりの数存在していたのだが、それでもオデーサでは、ウクライナ語で書かれているのが興味深い。
(この後、ロシア語話者の割合が多いクリミア半島にも行ったけれど、ウクライナ語とロシア語の併記だった。どちらか一方しか書くスペースがない場合は、ウクライナ語が優先されていたようだ。ウクライナ語とロシア語について詳しくないので自信がないが)
головнаというのは、中央、メインとかいう意味で、例えばголовна страваと書くと「メインディッシュ」の意味となるらしい。さっき調べたが、やはりウクライナ語のようだ。
ちなみに、ロシア語で「メインディッシュ」はосновное блюдоという。ロシア語とウクライナ語は、かなり似ているのかと想像していたが、そうでもない場合もあるのだ。
写真に戻るが、この構内の感じ、中央アジアやアゼルバイジャン、ジョージア、アルメニアを思い出す。私が旅してきた国々だ。
ロシア人の影響力のある土地に作られた建物。
そして歩く人々。
ここに住んでいた人たちは、戦争となってしまった今も、元気で生活しているのだろうか?
そして、刹那、絡んだ「日本」が、私に複雑な感情を生じさせる。
この一葉の写真を眺めていると、時代の流れが凄まじく感じられるのだ。