3万ペソで楽しく暮らす

住居費以外を3万ペソ(60万円)で楽しく暮らす。エンジニアのブログ。

「新人」教育のこと

「新人」教育を依頼されることが多い。

しかし、「微妙」な「新人」である。

 

「微妙」というのは、「派遣」や「請負」あるいは「応援」で来ている人という意味だ。「新人」といっても、自社の社員ではない人ばかりである。場合によっては60歳以上。多いのは、20歳台。累計で10人ぐらいか。

契約がどうなっているのか、全く知らないのだが、「今日から手伝いの人が来るから、いろいろと教えてあげて、後は宜しく」と言われる。(日本では、このような依頼を「丸投げ」という)

 

タダで教える。

 

いやタダどころか、こちらがカネを払っている。教えた人が自社に残るなら、救いがあるが、大体、1年で元の会社に戻っていく。仕事を教えて、いろいろと出来るようになったら、「お世話になりました」と去っていくのだ。それが10人ぐらい。

このタダ働き感、心の底からの虚しさを覚える。

 

測定器の使い方、データの取得方法、データの読み方、分析の仕方、改善方法。

ハードウェア改造方法、半田付けや、その他改造。

 

1から10まで親切に教えて、タダ。

いや、教える方がおカネを払う。

 

まさに「エンジニア定額使い放題」

(いやいや、定額というよりタダ、というより、おカネも貰える)

 

とはいっても、「他の人に教えることで、自分でも学ぶことは多いから、得はしている」と考えてはいるが。いや、そう考えないと救いようがないから、無理やり編み出した心の平穏。心のロンダリング。つまり、私と言う人間は、いいようにタダ働きさせても、心の平穏を保てるという素質を持つことになる。やられても、やられても、キレるどころか、熱中するように業務にのめり込む。それが【意味ないもの】であっても関係なく。(日本の典型的な労働者なのかもしれない)

 

もっと待遇をよくして欲しいが、そういう「無駄な努力」は全くしなくなった。それをする暇があるなら、目の前の作業を淡々と片付けていく。

 

ここまで書いていて、改めて分かった。

何故、私が「新人」教育に選ばれるのか。まさに適任ではないか。

 

どんなにボロボロになるまで、こき使っても、腐るどころか熱中して、文句も言わずに働くのだ。こんなに便利な生き物は無いのだ。

 

そしてまた、何もかもタダで教えるということが、日本を(私を)貧乏にしていった原因なのかもしれないと考える。