クリスマスが近くなると思い出すのは、
シリアのダマスカスでのクリスマスのことだ。
歴史的な経緯もあって、シリアには少数だがキリスト教徒が居住する。
ロシアが、シリアの「アサド政権」を支援するのも、キリスト教徒の存在があるからとも言われる。また、「アサド政権」バッシャール・アサド大統領の「アラウィー派」は、シーア派の一派ではあるが、キリスト教との類似性があるともいわれている。
シリアがまだ平和だったころ。
私はダマスカスでクリスマスを過ごしたことがあった。
そのダマスカスの話。
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【1.冬のダマスカス】
夜。
12月のダマスカスは風が冷たい。
凍える手をポケットに突っ込んで、私は「真っすぐな道」を歩いていた。
道の両側には車がびっしりと駐車されていて、歩きにくい。
歩道も、あることはあるのだが、
それは人が一人歩くだけで精一杯という代物で、
すれ違うためには車道に下りなくてはならない。
その車道に、車が駐車されているのだ。
縦列駐車された、車と車の間をすり抜けるようにして、
車道に下りて、前から歩く人をやり過ごす。
それを何度もやっているうちに面倒になり、今は車道を歩いていた。
車の往来はそれほど多くも無く、また、道幅も十分ではないため、車は減速して走る。
だから、車道を歩くのも、それほど危険なわけではなかった。
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【2.真っすぐな道】
「真っすぐな道」の両脇には、石造りの家が並んでいるが、この建物が特徴的だった。
2階より上が、道路側に「せり出している」のだ。
トルコ、イランなどにもあったような建築様式だ。
ダマスカスの旧市街、「真っすぐな道」を奥に入ったところにも、同様の建築様式が随所に見られる。
さて、この「真っすぐな道」だが、新約聖書にも登場する。
このエピソードは、キリスト教徒には大変重要なものである。
それは、聖パウロという人物の回心の話だ。
そのパウロ(「サウロ」、「サウル」とも表記される)が回心したのがダマスカスだ。
それが、ダマスカスで「神の声」を聞き回心することになる。
キリスト教徒迫害のためダマスカス近郊に迫ったパウロは、
突然目が見えなくなってしまう。
そのとき「神の声(キリストの声)」が聞こえたのだ。
「さあ、立って町に入れ。
おまえのなすべきことが告げられるであろう」
パウロは、ダマスカスで3日間過ごした。
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【3.アナニア】
さて、ダマスカスに住んでいた「アナニア」というキリスト教徒が
「神の声」を聞き、パウロを訪ねてくる。
「起きて、『まっすぐ』という道を行き、
ユダの家に、サウロという名の、タルソ人を訪ねよ。
彼は、今、祈っている。
このサウロはアナニアという者が入って来て、再び目が見えるようにしてくれるために、自分の上に手を置くのを、幻で見たのである」」
アナニアは、パウロ(サウロ)を助けるのに気が進まなかった。
理由は、パウロがエルサレムでキリスト教徒を迫害していたからだ。
そもそも、パウロがダマスカスに向かったのも、ダマスカスに住むキリスト教徒を迫害するためだったではないか?
しかし、主(神)が強く促し、アナニアは、しぶしぶパウロを助けに行く。
アナニアがパウロの上に手を置くと、パウロの目からウロコのようなものが落ち再び見えるようになった。
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【4.教会】
聖アナニア教会というのがダマスカスにあり、それはもちろん、聖書に出てくるアナニアとパウロのエピソードに関連している。
その聖アナニア教会の地下には、目から鱗が落ちるエピソードが、絵になって飾られている。
余談だが、パウロは回心後、ダマスカスのユダヤ人たちに恨まれ、殺されそうになる。
ダマスカスの門はユダヤ人たちに監視され、パウロは脱出不可能になった。
そこで、パウロの弟子達は、暗闇に乗じて、カゴに入れてパウロを城壁伝いに吊り下ろしたのだった。
この逸話に関連した展示が、聖パウロ教会にある。
この教会もダマスカスにあり、なんと、この教会内部に、カゴが展示されている。
パウロのエピソードを知っていれば、このカゴが重要な意味を持っていることに気がつくだろう。
その日は12月24日。
キリスト教徒にとって重要なこの日。
世界中の教会でミサが執り行われていることだろう。
私は、聖アナニア教会近くの教会に行ってみることにした。
ダマスカスに住むキリスト教徒たちが、そこに集まってくるだろう。