毎年、イギリスにクリスマスカードを出している。
学生時代に、イギリスの「ある町」にホームステイをしたことがある。
そのときの数週間は、まるで夢の中のような出来事だった。
毎日毎日、新しい出来事があり、日本での1年ぐらいの体験を数週間でしたような気分だった。その後の人生を「大きく変える」ような重大な出来事だった。
そのホストファミリーに礼状として、クリスマスカードを出したところ返事が来て、それから毎年書くようになった。その後も、毎年返事をくれる。
忘れもしないのは東日本大震災のとき。
そのときは3月だったが、「大丈夫か?」というようなお見舞いの手紙が来た。
そして、2年前。
なかなかクリスマスカードの返事が来ないと思ったら、奥さんからの走り書きが書かれたクリスマスカードが来た。
内容は、(いつも文を書いてくれる)「旦那さんが亡くなられた」というお知らせだった。
そうか、もういないのだ。旦那さんは居ないのだ。
それから、私は奥さんだけに向けてクリスマスカードを出している。
だから、この時期になると、あの夏を思い出す。
「あの町」で生活したあの夏を。
博物館。花火大会。家から見える風景。
イギリスの典型的な一軒家の構造。広い庭。乾いた風。質素な食事(イモばかりだった)。週末は近隣の街に小旅行(エクスカーション)へ行き、平日の夜は、ホストファミリーの家で食事をした後、学校の仲間たちと飲みに行く。イタリア人、フランス人、韓国人、そして日本人も。
イギリスの「バー」は日本のような「飲み放題」という習慣はなく、また自分が飲みたいものは個人個人で注文するスタイルだから、気楽に飲めた。イギリス名物の黒くて温いビールも、それなりに味わった。
ホームステイ先で同室だったロシア人の少年。このロシア人は、大金持ちの息子で、まさにドラ息子の典型。全く英語を話せず、やっと話したと思ったら「カネを貸してくれ」。ゲームセンターで遊び歩き、深夜帰宅するときは、窓から入って来た(玄関は鍵が掛かっているので)。同室が、もっと英語をしゃべる人であれば、自分の英語の勉強にもなったのにと残念である。
年齢は15歳ぐらいだっただろうか。酒を呑んでいなかっただけ、マトモと言えるのか。こんなに勉強する気がなく、遊び倒している若者が、語学留学をさせて貰えているという現実を、私は信じられなかった。ロシアと日本の状況の差に愕然とする思いだった。しかし、逆にバイトをすれば、語学留学できる資金が貯められるというのは、豊かな国なのかもしれないとは思った。(当時の日本)
その代わりというか、その家の家族とは、ひたすら会話した。私は魚屋でバイトをした「なけなし」のカネでホームステイに来ていたから、少しでも英語が上達するようにと、執念で会話をした。そして、その家族とはウマがあったのは、運が良かった。まるで本当の家族のように過ごすことができた。今でも、家族のように感じている。
クリスマスカードに同封してくれる写真を見るのが楽しみであり、私も、写真を同封していた。
そう、2年前に亡くなられてから、急に寂しくなった。
やはり思う、もうあの人は居ないのだと。
私の思い出を共有できる人が、一人、また一人と減っていく。
■備忘録
イギリスまでの郵便料金:140円