卒園の季節だから、だろうか。
幼稚園児が、親の携帯を使って
「さようなら幼稚園」の歌を聴いているのを目撃した。
その歌を聴いた時に、脳裏に記憶が甦って来た。
次々と、次々と・・・
卒園のときは、
幼稚園の「新館」二階の大教室の舞台で、
「一年生になったら友達が100人できるだろうか?」
というような歌を歌い、
「100人も友達が本当に出来るのだろうか?」
と心から心配していた自分がいた。
そして、悲しい思い出も甦る。
同じ幼稚園に通う女の子が、井戸に落ちて亡くなったのだ。
井戸に蓋をしていたのだが、
その蓋の上で遊んでいて蓋が壊れて落ちたということだ。
「井戸」と言うものが、どういうものか知らなかったが、
整列した園児の前で、先生から、そのような報告がなされた。
「もうあの子には会えないのだ」
ということが強烈に焼き付けられた。
それから・・・
- 「逆上がり」の練習をしていて、鉄棒から落ちたこと。
- 園庭で飼われていた小鳥のこと。
- 運動会で駆けたこと。
- 夏の映画上映会のこと。
- 園からの帰り「狐の嫁入り」にあったこと。
- お泊り会で「タオルケット」を使って寝たこと。
- 毎月一回、幼稚園で貰える絵本が楽しみだったこと。
ここに書き切れないぐらいの多くの思い出が甦ってきたのだ。
「プルースト効果」は、
紅茶に浸したマドレーヌの香を嗅いだ時に、過去の記憶が甦ることだから、
本来は音楽とは関係ないのかもしれない。
だが、その音楽を切っ掛けにして、過去の記憶が甦ることが、
「まるでプルースト」だと考えたのだった。
自分は、「ある楽器」を習っていたから、
音楽の方が(匂いよりも)心に残りやすいのかもしれない。
それはともかく、恐ろしいほどの記憶が甦ってしまい、
「もう戻れない過去」が、何とも愛おしく感じられたのだった・・・
そして、今この瞬間ですらも、「過去」になってしまうのだ。
ということを、強烈に意識されたのだった。